まえがき
6月 23, 2023
「絶対に飛騨古川で宿を開業するのは辞めた方がいい。高山ならきっと成り立つよ」
「いますぐ工事を中止して別のことに資金を使うべき。この場所では絶対成立しない」
2014年に7年間働いた外資系金融機関を辞めた僕は、飛騨古川でゲストハウスを開業する計画を進めていたけれど、当時相談すると返ってくる言葉は、計画を変更するべきというものばかり。
大学のつながりだったり、いきなり電話アポを入れるなどして、ゲストハウスや宿業界では百戦錬磨で有名な経営者やコンサルタントに相談していた。
ざっくり言うと計画はこうだった。
「生まれ故郷の飛騨市初となるゲストハウスを開業して地域に貢献したい。古民家を再生して世界中から旅行者が集まり交流する場所に。食事は一切出さないようにして、地域のお店にお金が巡るようにしたい。そして、ホスピタリティのあるスタッフが友達感覚で交流しながら地域をガイドすることで、本当に地域を楽しんでローカルと触れ合えたと感じる旅を提供したい。日本一の宿にしたい」
「飛騨古川にあるけれど駅からは徒歩30分。高山からは電車を乗り継で徒歩も含めると40分。2階建ての古民家で延べ床面積は約90平米。吉城の郷という大きな古民家複合施設の中にある離れとして利用されていた古民家を改修。相部屋ドミトリーで1人1泊3,000円。稼働率は60%以上。一人で運営する」
「創業メンバーは僕と幼馴染の庭師の二人。僕が経営・運営を担当して、幼馴染の同級生が施工や庭を担当。ちなみに二人とも宿はまったくの素人」
「ゲストハウスは全員他の事業を掛け持ちで立ち上げます」
全員掛け持ち!?てか日本一って何!?
当時、僕は大学の友人と株式会社旅ジョブというツアー会社も同時に立ち上げていたし、創業メンバーの庭師林は造園会社を経営していた。どう考えても割ける時間は限られる。
若気の至りとは恐ろしい・・・自分が相談を受ける立場だったら、
絶対に辞めた方がいいし、全員掛け持ちとか舐めてるから!と言うだろう・・・
「最初に宿をやるなら絶対地元。ここでやる。誰が何と言おうと自分たちならできる」
当時は想いと勢いで物事が進んでいた。正直、根拠のない過信や奢りもあったと思う。
立場も知識も経験もある優しい方々のアドバイスを振り切り、融資がついたことをいいことに、工事を開始した。
工事が完了してゲストハウスがオープンしたのが2014年8月。
その翌月、経営・運営担当の僕は、オープンしたばかりの宿を離れ、イギリスのビジネススクール留学へと旅立った。
えっ!?創業したばかりだよね!?旅ジョブというもう一社もあるよね!?と掛け持ちどころの騒ぎではなく創業者がオープンと同時にいなくなるという驚きの展開だが、これは自分のことだ。
ヤバい。ヤバすぎる。
振り返ると何一つ教科書的な正解を選んでいないし、恥ずかしいことばかりだ。
でも書くと決めたからには書かねばならない。
僕は本を読むことで学んで実践に活かしていくことが好きだ。
ただ、ビジネス系の創業ストーリーをたくさん読んできたけれど、遠い世界にある輝かしい成功ストーリーや、ベンチャーから大企業への成長過程や、世界展開を目指すような話が多くて、
日本の地方部でスモールビジネスを経営するには参考になりにくいと感じていた。もちろんエッセンスを抽出して活かすことはできるけれど、抽象化して自分事にするのは簡単じゃない。
だからこの創業ストーリーには、世にあふれる成功ストーリーではなく、これまでのたくさんの失敗や苦難をしっかりと綴りたい。
地方でスモールベンチャーを立ち上げることの大変さや苦難が伝わるものにしたいし、多くの経営者やビジネスパーソン、人生に悩んでいる人、地方部で挑戦したい若者、そして地方部に住む人々にとって、役に立つ内容にしたい。
そもそも会社としても経営者としても未熟すぎて、成功ストーリーなんて書けるはずもないのだ。
現在進行形のありのままのストーリーを綴ることで、たった一人でもいいから、勇気づけられたり、元気がでたりしてくれたら、とても嬉しい。
日本のどこにいようが会社を立ち上げることはとても簡単だ。
少しのお金があれば会社という箱はできてしまう。
でも、会社を、事業を、そして経営者としての自分を、育てることはとても大変だ。
不確実で曖昧な世界を、自らの意思決定で形づくるしかない。
けれどそのぶん、楽しい。
生きている。自分の人生を。